ジュンディーシャープール学院
Q. 8世紀~13世紀のイスラム世界にギリシアの思想がどのようなルートで伝わったか
・アレクサンドロス3世の東方遠征によりギリシアの思想が中東地域に伝わる。
・プトレマイオス1世がエジプトに王朝をつくりギリシアの思想を保存する。
・5世紀までアレクサンドリア図書館でギリシア思想が保存される。
・5世紀から8世紀までの間、サーサーン朝ペルシアのホスロー1世によって。
・8世紀にできたアッバース朝によりギリシア思想のアラビア語訳が奨励される。
☛ ピリッポス2世(Phillip II of Macedon, 382BC-336BC)
アレクサンドロス3世の父
☛ アリストテレス(Aristotle, 384BC-322BC)
アレクサンドロス3世の家庭教師として、342BCから340BCまで、アレクサンドロス3世とその学友を教える。アレクサンドロス3世との交流は、アレクサンドロス3世の東征中を含めて死まで続く。
☛ アレクサンドロス3世(Alexander the Great, 356BC-323BC)
東方遠征 333BC イッソスの戦い (v.s.アケメネス朝、ダレイオス3世)
332BC アレクサンドリア建設
331BC ガウガメラの戦い (v.s.アケメネス朝、ダレイオス3世)
330BC エクバタナを占領、ペルシア遠征終了
323BC 死
セレウコス朝シリア
プトレマイオス朝エジプト
☛ プトレマイオス1世ソーテール(Ptolemy I Soter, 367BC-282BC)
アレクサンドロス3世の学友の一人
アレクサンドロス3世の東方遠征において将軍として従軍
330BC側近護衛官(Somatophylakes/bodyguard)となる
首都アレクサンドリアに王立研究所(ムセイオン)とアレクサンドリア図書館を建設
➣ プトレマイオス朝エジプト(Ptolemaic dynasty, 305BC-30BC)
首都:アレクサンドリア
BC47 ナイルの戦い (v.s.共和制ローマ、ユリウス・カエサル)
BC30 共和制ローマによって滅ぼされる
➣ アレクサンドリア図書館
415 ヒュパティアの虐殺事件(学者の亡命のきっかけ、アレクサンドリアの凋落の一因)
アレクサンドリアにいた人物(時代順)
☛ エウクレイデス(Euclid of Alexandria, 330BC?)
☛ アルキメデス(Archimedes, 287BC-212BC) 一時的に滞在
☛ エラトステネス(Eratosthenes, 276BC-194BC) ムセイオンの館長を努める
地球の直径を計測
☛ フィロン(Philo, 25BC-50) ギリシア哲学(プラトン)をユダヤ教思想の解釈に適用
☛ クラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemy, 100-170) 天動説
☛ テオン(Theon, 335-405) アレクサンドリア図書館の最後の館長
ヒュパティアの父
☛ ヒュパティア(Hypatia, -415) プラトン、アリストテレスの講義
☛ セレウコス1世ニカトル(Seleucus I Nicator, 358BC-281BC)
アルゲアス朝マケドニアの貴族アンティオコスの子
アレクサンドロス3世の東方遠征にヘタイロイとして参加
➣ セレウコス朝シリア(Seleucid Empire, 312BC-63BC)
首都:アンティオキア
305BC セレウコス1世 v.s. マウリヤ朝、チャンドラグプタ
271BC 第一次シリア戦争 v.s. プトレマイオス朝
192BC-188BC ローマ・シリア戦争(Roman-Seleucid War)
アンティオコス3世 v.s. 共和制ローマ
167BC マカバイ戦争(Maccabean Revolt)
アンティオコス4世 v.s. ユダ・マカバイ
ユダヤ人の反乱とそれに続く戦争
マカバイ戦争を指導
ハスモン朝の基礎を築く
➣ ハスモン朝(Hasmonean dynasty, 140BC-37BC)
首都:エルサレム
☛ ヘロデ(Herod the Great, 73BC-4BC)
共和制ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王
ハスモン朝を破ってヘロデ朝を創設
➣ ヘロデ朝(Herodian dynasty, 37BC-92)
首都:エルサレム
37BC エルサレム包囲戦(Siege of Jerusalem)
ヘロデ大王 v.s. アンティゴノス2世(ハスモン朝の最後の王)
415(エジプト) ヒュパティアがキリスト教徒に虐殺される
489(エデッサ) ネストリウス派の神学と科学の中心が東ローマ帝国皇帝ゼノンによって閉鎖される
529(アテネ) 東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の非キリスト教的学校の閉鎖政策によりアカデメイアが閉鎖される
→ アテネとエジプトから学者がサーサーン朝に亡命
→ エデッサからはニシビス経由でジュンディーシャープールに移る
➣ サーサーン朝ペルシア(Sasanian Empire)
首都:クテシフォン
初代君主:アルダシール1世
425 東方からエフタルの侵入
☛ ホスロー1世(Khosrow I, -579)
サーサーン朝ペルシアの第21代君主
アカデメイアの閉鎖後、東ローマ帝国から流出したギリシア知識人を保護
ギリシアの哲学者やネストリウス派のアッシリア人に避難所を与える
ジュンディーシャープールに研究所(ジュンディーシャープール学院)を設置
ギリシアの学術をシリア語に翻訳
➣ ジュンディーシャープール(Gundeshapur)
271年にサーサーン朝の王シャープール1世によって創立される
サーサーン朝の知的な中心
ペルシアとアラムの伝統に加えてギリシアとインドの科学が混じり合う焦点となった
統治者の交替を生き延びて、数世紀の間存続した
アッバース朝の知恵の館はジュンディーシャープール学院の卒業生を職員にしていた
(次回のテーマ)