トレドとパレルモ
12~13世紀
・イベリア半島のトレド(トレド翻訳学派)
➣ トレド(Toledo)
カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都。かつての西ゴート王国の首都
・ 711年、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸したウマイヤ朝の指揮官ターリク・イブン・ズィヤードによって征服される
・ 1085年、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によってトレドが攻略される
・ 12世紀から13世紀、トレド翻訳学派と呼ばれる学者が活躍した。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学、神学、科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳された。
トレド翻訳学派(Toledo School of Translators)
12世紀~13世紀、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によってアラビア語からラテン語に翻訳された。
☛ アル=ザルカーリー(Abu Ishaq ibrahim al-Zarqali, 1029-1087)
☛ アブラハム・イブン・エズラ(Abraham ibn Ezra, 1089-1167)
移住生活(北アフリカ~エジプト~ローマ~ロンドン~)の過程で、アラビア語で伝えられていた学問をユダヤ教徒の間に広める
☛ クレモナのジェラルド(Gerald of Cremona, 1114-1187)
イタリア、ロンバルディアのクレモナ生まれ
『アルマゲスト』(プトレマイオス)、『原論』(エウクレイデス)、フワーリズミー、アル=キンディー、アル=ファーラービー、アル=ラーズィー、フナイン・イブン・イスハークなど、87以上のアラビア科学の本をラテン語訳する。
☛ John of Seville
アル=バッターニー、イブン・スィーナー、アル=ガザーリー、アル=ファーラービー等
☛ Dominicus Gundissalinus
イブン・スィーナー、ガザーリー等
☛ マイケル・スコット(Michael Scot, 1175-1232)
アリストテレスを翻訳(のちにロジャー・ベーコンによって用いられる)
☛ チェスターのロバート(Robert of Chester)
フワーリズミーの ilm al-jabr wa'l muqabalah をal-jabrとラテン語訳(「代数(アルジェブラ)」の由来)
『インドの数に関して、アル=フワーリズミー』を『実用算術についてのアルゴリズムの本』という題で翻訳。ヨーロッパの大学で500年にわたって数学の主要な教科書として用いられる。「アルゴリズム」の由来
ジャービル・イブン=ハイヤーン(Jabir ibn Hayyan, 712-815、アッバース朝の哲学者)をラテン語訳。ジャービルのアラビア語によるKitab al-Kimyaは「錬金術」(羅:Alchemia)の語源となる
➣ パレルモ(Palermo)
シチリア島北西部の都市
・ 9世紀にイスラム勢力が北アフリカから侵入(831年パレルモ陥落、965年シチリア島全島陥落)
・ 当時人口30万
・ 11世紀、全島ノルマン人の手に落ちる
・ 神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家によって支配される
・ フェデリコ2世(フリードリヒ2世、神聖ローマ皇帝)の宮廷でアラビア語とギリシア語の文献がラテン語に翻訳される
☛ アル=カーミル(Al-Kamir, 1177-1238)
アイユーブ朝(Ayyubid dynasty, 1171-1260)の第五スルタン
・ 1218年、父が第五回十字軍と交戦中に心臓発作で死去したため後を継いでスルタンとして即位
・ カーミルの即位に不満をもつ一族に反乱を起こされる
・ フリードリヒ2世と知識人として交流(アラビア語によって)
☛ フリードリヒ2世(Frederick II, Holy Roman Emperor, 1194-1250)
・ 1220年、十字軍の実行と引き換えに神聖ローマ皇帝位を認められる。しかし出発せず(第五回十字軍)
・ 1225年、エルサレム女王のイザベル2世(Isabella II of Jerusalem, 1212-1228)と結婚しエルサレム王位を得る(エルサレム王国は十字軍国家の一つ)。
・ ローマ教皇グレゴリウス9世に破門される。
・ 1228年、破門のまま十字軍に出発。エルサレムの奪回に成功するが評価は低かった(第六回十字軍)。
・ 1229年、エルサレム王に戴冠(聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団の総長は出席せず。自らの手で戴冠)。まもなくイタリアにおいて破門皇帝に対する十字軍が宣言される。
・ エルサレムからシチリアに移住したユダヤ人をパレルモの宮廷で雇い、ギリシア語とアラビア語の書籍の翻訳に従事させる。
・ ユダヤ人以外に、プロヴァンス、イングランド、イタリア、イスラムの知識人が宮廷に招かれる
・ ナポリ大学(現在Universita degli Studi di Napoli Federico IIと呼ばれる。のちにトマス・アクィナス輩出)を設立
・鷹狩りを主題とするDe arte venandi cum avibusを書く。モンゴル帝国のバトゥに献上される(バトゥはフリードリヒが鷹の性質を深く理解していることを称賛)。
フリードリヒの宮廷に集まった文化人
☛ マイケル・スコット
スコットランド生まれの数学者
オックスフォード、バリ、イタリアを経てトレドに移る
1217年、トレドでイブン=ルシュドと同時代の学者アルぺトラギウスの天文学の著作Kitab fi l-hai'aを翻訳
アラビア語の著作を翻訳
1227年からフリードリヒ2世の宮廷でアラビア語の注釈のついたアリストテレスの著作を翻訳
☛ レオナルド・フィボナッチ(Fibonacci, 1175-1250)
イタリアのピサで生まれる
父グリエルモとともにムワッヒド朝のぺジャイアに移住。そこでアラビア数字を学ぶ
アラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行
1202年、『算盤の書』を出版
フリードリヒ2世に気に入られ、しばしば宮廷に呼ばれる
☛ グイド・ボナッティ(Guido Bonatti)
イタリアの数学者