古代オリエント
・アナトリア(Anatolia)
北は黒海、北西はマルマラ海、西はエーゲ海、南西は地中海に面する。東と南東は陸続きでジョージア、アルメニア、イラン、イラク、シリアと接する。
地勢は高地性。平地は海岸沿いにわずかにあるのみ。河川は大部分が黒海・マルマラ海・エーゲ海・地中海に流れるが、南東部にはペルシア湾にそそぐチグリス川・ユーフラテス川の上流や支流が流れ、北東部にはカスピ海にそそぐクラ川の上流や支流が流れる。
・メソポタミア(Mesopotamia)
チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野。現在のイラクの一部。
➣ 北部 アッシリア(Assyria)
➣ 南部 バビロニア(Babylonia) 北半分 アッカド(Akkad)
南半分 シュメール(Sumer)
・コーカサス(Caucasus)
黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス山脈と、それを取り囲む低地からなる面積約44万平方キロメートルの地域。
・カナン(Canaan)
・エジプト(Egypt)
北は地中海、東は紅海に面している。南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯(ナイル・デルタ)のほかは、国土の大部分が砂漠である。
ヒジャーズ地方、クライシュ族
Q. なぜペルシア人が多いイランにシーア派が多いのか?
SSK
对不起
かってに der Entwurf 変えてしまいました。
I have no intention to continue to use this design.
そのうち戻します。
再见
OZK
トレドとパレルモ
12~13世紀
・イベリア半島のトレド(トレド翻訳学派)
➣ トレド(Toledo)
カスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都。かつての西ゴート王国の首都
・ 711年、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に上陸したウマイヤ朝の指揮官ターリク・イブン・ズィヤードによって征服される
・ 1085年、カスティーリャ王国のアルフォンソ6世によってトレドが攻略される
・ 12世紀から13世紀、トレド翻訳学派と呼ばれる学者が活躍した。イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によって、古代ギリシア・ローマの哲学、神学、科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳された。
トレド翻訳学派(Toledo School of Translators)
12世紀~13世紀、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒の共同作業によってアラビア語からラテン語に翻訳された。
☛ アル=ザルカーリー(Abu Ishaq ibrahim al-Zarqali, 1029-1087)
☛ アブラハム・イブン・エズラ(Abraham ibn Ezra, 1089-1167)
移住生活(北アフリカ~エジプト~ローマ~ロンドン~)の過程で、アラビア語で伝えられていた学問をユダヤ教徒の間に広める
☛ クレモナのジェラルド(Gerald of Cremona, 1114-1187)
イタリア、ロンバルディアのクレモナ生まれ
『アルマゲスト』(プトレマイオス)、『原論』(エウクレイデス)、フワーリズミー、アル=キンディー、アル=ファーラービー、アル=ラーズィー、フナイン・イブン・イスハークなど、87以上のアラビア科学の本をラテン語訳する。
☛ John of Seville
アル=バッターニー、イブン・スィーナー、アル=ガザーリー、アル=ファーラービー等
☛ Dominicus Gundissalinus
イブン・スィーナー、ガザーリー等
☛ マイケル・スコット(Michael Scot, 1175-1232)
アリストテレスを翻訳(のちにロジャー・ベーコンによって用いられる)
☛ チェスターのロバート(Robert of Chester)
フワーリズミーの ilm al-jabr wa'l muqabalah をal-jabrとラテン語訳(「代数(アルジェブラ)」の由来)
『インドの数に関して、アル=フワーリズミー』を『実用算術についてのアルゴリズムの本』という題で翻訳。ヨーロッパの大学で500年にわたって数学の主要な教科書として用いられる。「アルゴリズム」の由来
ジャービル・イブン=ハイヤーン(Jabir ibn Hayyan, 712-815、アッバース朝の哲学者)をラテン語訳。ジャービルのアラビア語によるKitab al-Kimyaは「錬金術」(羅:Alchemia)の語源となる
➣ パレルモ(Palermo)
シチリア島北西部の都市
・ 9世紀にイスラム勢力が北アフリカから侵入(831年パレルモ陥落、965年シチリア島全島陥落)
・ 当時人口30万
・ 11世紀、全島ノルマン人の手に落ちる
・ 神聖ローマ帝国のホーエンシュタウフェン家によって支配される
・ フェデリコ2世(フリードリヒ2世、神聖ローマ皇帝)の宮廷でアラビア語とギリシア語の文献がラテン語に翻訳される
☛ アル=カーミル(Al-Kamir, 1177-1238)
アイユーブ朝(Ayyubid dynasty, 1171-1260)の第五スルタン
・ 1218年、父が第五回十字軍と交戦中に心臓発作で死去したため後を継いでスルタンとして即位
・ カーミルの即位に不満をもつ一族に反乱を起こされる
・ フリードリヒ2世と知識人として交流(アラビア語によって)
☛ フリードリヒ2世(Frederick II, Holy Roman Emperor, 1194-1250)
・ 1220年、十字軍の実行と引き換えに神聖ローマ皇帝位を認められる。しかし出発せず(第五回十字軍)
・ 1225年、エルサレム女王のイザベル2世(Isabella II of Jerusalem, 1212-1228)と結婚しエルサレム王位を得る(エルサレム王国は十字軍国家の一つ)。
・ ローマ教皇グレゴリウス9世に破門される。
・ 1228年、破門のまま十字軍に出発。エルサレムの奪回に成功するが評価は低かった(第六回十字軍)。
・ 1229年、エルサレム王に戴冠(聖ヨハネ騎士団、テンプル騎士団の総長は出席せず。自らの手で戴冠)。まもなくイタリアにおいて破門皇帝に対する十字軍が宣言される。
・ エルサレムからシチリアに移住したユダヤ人をパレルモの宮廷で雇い、ギリシア語とアラビア語の書籍の翻訳に従事させる。
・ ユダヤ人以外に、プロヴァンス、イングランド、イタリア、イスラムの知識人が宮廷に招かれる
・ ナポリ大学(現在Universita degli Studi di Napoli Federico IIと呼ばれる。のちにトマス・アクィナス輩出)を設立
・鷹狩りを主題とするDe arte venandi cum avibusを書く。モンゴル帝国のバトゥに献上される(バトゥはフリードリヒが鷹の性質を深く理解していることを称賛)。
フリードリヒの宮廷に集まった文化人
☛ マイケル・スコット
スコットランド生まれの数学者
オックスフォード、バリ、イタリアを経てトレドに移る
1217年、トレドでイブン=ルシュドと同時代の学者アルぺトラギウスの天文学の著作Kitab fi l-hai'aを翻訳
アラビア語の著作を翻訳
1227年からフリードリヒ2世の宮廷でアラビア語の注釈のついたアリストテレスの著作を翻訳
☛ レオナルド・フィボナッチ(Fibonacci, 1175-1250)
イタリアのピサで生まれる
父グリエルモとともにムワッヒド朝のぺジャイアに移住。そこでアラビア数字を学ぶ
アラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行
1202年、『算盤の書』を出版
フリードリヒ2世に気に入られ、しばしば宮廷に呼ばれる
☛ グイド・ボナッティ(Guido Bonatti)
イタリアの数学者
ジュンディーシャープール学院
Q. 8世紀~13世紀のイスラム世界にギリシアの思想がどのようなルートで伝わったか
・アレクサンドロス3世の東方遠征によりギリシアの思想が中東地域に伝わる。
・プトレマイオス1世がエジプトに王朝をつくりギリシアの思想を保存する。
・5世紀までアレクサンドリア図書館でギリシア思想が保存される。
・5世紀から8世紀までの間、サーサーン朝ペルシアのホスロー1世によって。
・8世紀にできたアッバース朝によりギリシア思想のアラビア語訳が奨励される。
☛ ピリッポス2世(Phillip II of Macedon, 382BC-336BC)
アレクサンドロス3世の父
☛ アリストテレス(Aristotle, 384BC-322BC)
アレクサンドロス3世の家庭教師として、342BCから340BCまで、アレクサンドロス3世とその学友を教える。アレクサンドロス3世との交流は、アレクサンドロス3世の東征中を含めて死まで続く。
☛ アレクサンドロス3世(Alexander the Great, 356BC-323BC)
東方遠征 333BC イッソスの戦い (v.s.アケメネス朝、ダレイオス3世)
332BC アレクサンドリア建設
331BC ガウガメラの戦い (v.s.アケメネス朝、ダレイオス3世)
330BC エクバタナを占領、ペルシア遠征終了
323BC 死
セレウコス朝シリア
プトレマイオス朝エジプト
☛ プトレマイオス1世ソーテール(Ptolemy I Soter, 367BC-282BC)
アレクサンドロス3世の学友の一人
アレクサンドロス3世の東方遠征において将軍として従軍
330BC側近護衛官(Somatophylakes/bodyguard)となる
首都アレクサンドリアに王立研究所(ムセイオン)とアレクサンドリア図書館を建設
➣ プトレマイオス朝エジプト(Ptolemaic dynasty, 305BC-30BC)
首都:アレクサンドリア
BC47 ナイルの戦い (v.s.共和制ローマ、ユリウス・カエサル)
BC30 共和制ローマによって滅ぼされる
➣ アレクサンドリア図書館
415 ヒュパティアの虐殺事件(学者の亡命のきっかけ、アレクサンドリアの凋落の一因)
アレクサンドリアにいた人物(時代順)
☛ エウクレイデス(Euclid of Alexandria, 330BC?)
☛ アルキメデス(Archimedes, 287BC-212BC) 一時的に滞在
☛ エラトステネス(Eratosthenes, 276BC-194BC) ムセイオンの館長を努める
地球の直径を計測
☛ フィロン(Philo, 25BC-50) ギリシア哲学(プラトン)をユダヤ教思想の解釈に適用
☛ クラウディオス・プトレマイオス(Claudius Ptolemy, 100-170) 天動説
☛ テオン(Theon, 335-405) アレクサンドリア図書館の最後の館長
ヒュパティアの父
☛ ヒュパティア(Hypatia, -415) プラトン、アリストテレスの講義
☛ セレウコス1世ニカトル(Seleucus I Nicator, 358BC-281BC)
アルゲアス朝マケドニアの貴族アンティオコスの子
アレクサンドロス3世の東方遠征にヘタイロイとして参加
➣ セレウコス朝シリア(Seleucid Empire, 312BC-63BC)
首都:アンティオキア
305BC セレウコス1世 v.s. マウリヤ朝、チャンドラグプタ
271BC 第一次シリア戦争 v.s. プトレマイオス朝
192BC-188BC ローマ・シリア戦争(Roman-Seleucid War)
アンティオコス3世 v.s. 共和制ローマ
167BC マカバイ戦争(Maccabean Revolt)
アンティオコス4世 v.s. ユダ・マカバイ
ユダヤ人の反乱とそれに続く戦争
マカバイ戦争を指導
ハスモン朝の基礎を築く
➣ ハスモン朝(Hasmonean dynasty, 140BC-37BC)
首都:エルサレム
☛ ヘロデ(Herod the Great, 73BC-4BC)
共和制ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王
ハスモン朝を破ってヘロデ朝を創設
➣ ヘロデ朝(Herodian dynasty, 37BC-92)
首都:エルサレム
37BC エルサレム包囲戦(Siege of Jerusalem)
ヘロデ大王 v.s. アンティゴノス2世(ハスモン朝の最後の王)
415(エジプト) ヒュパティアがキリスト教徒に虐殺される
489(エデッサ) ネストリウス派の神学と科学の中心が東ローマ帝国皇帝ゼノンによって閉鎖される
529(アテネ) 東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の非キリスト教的学校の閉鎖政策によりアカデメイアが閉鎖される
→ アテネとエジプトから学者がサーサーン朝に亡命
→ エデッサからはニシビス経由でジュンディーシャープールに移る
➣ サーサーン朝ペルシア(Sasanian Empire)
首都:クテシフォン
初代君主:アルダシール1世
425 東方からエフタルの侵入
☛ ホスロー1世(Khosrow I, -579)
サーサーン朝ペルシアの第21代君主
アカデメイアの閉鎖後、東ローマ帝国から流出したギリシア知識人を保護
ギリシアの哲学者やネストリウス派のアッシリア人に避難所を与える
ジュンディーシャープールに研究所(ジュンディーシャープール学院)を設置
ギリシアの学術をシリア語に翻訳
➣ ジュンディーシャープール(Gundeshapur)
271年にサーサーン朝の王シャープール1世によって創立される
サーサーン朝の知的な中心
ペルシアとアラムの伝統に加えてギリシアとインドの科学が混じり合う焦点となった
統治者の交替を生き延びて、数世紀の間存続した
アッバース朝の知恵の館はジュンディーシャープール学院の卒業生を職員にしていた
(次回のテーマ)
イスラム科学
イスラム科学(Science in the medieval Islamic world)
アッバース朝(Abbasid Caliphate)
初代カリフ サッファーフ(722-754)
第5カリフ ハールーン・アル=ラシード(763-809)
第7カリフ マアムーン(786-833)
バグダードに知恵の館(Bayt al-hikma)を設立
第37カリフ ムスタアスィム(1213-1258)
・マアムーンによってギリシアの文献の収集とアラビア語への翻訳が奨励される。
・マアムーンによってバグダードに知恵の館が建てられギリシア語学者が集められる。
・バグダードの戦いでモンゴル軍によって知恵の館が破壊される。
☛ キンディー(Ibn Ishaq al-Kindi, 801-873)
光学 ⇒ ロジャー・ベーコン(Roger Bacon, 1219-1292)イングランド
☛ フナイン・イブン・イスハーク(Hunayn ibn Ishaq, 809-873)
☛ アル=バッターニー(al-Battani, 850-922)
三角法
☛ イブン・アル=ハイサム(ibn al-Haytham, 965-1040)、ラテン名:アルハゼン(Alhazen)
『光学』(Kitab al-Manazir) ⇒ フェルマー(Pierre de Fermat, 1607-1665)
ウィテロ(Witelo)
カメラ・オブスキュラ
経験、帰納の重視
平行線公準の証明の試み
☛ アル=フワーリズミー(al-Khwarizmi, 8th-9th centuries)
アラビア数字
☛ バヌ・ムサ(Banu Musa, 9th century)
幾何学 ⇒ イブン・アル=ハイサム
レオナルド・フィボナッチ(Leonardo Fibonacci, 1175-1250)
☛ アル=ファーラービー(al-Farabi, 870-950)
アリストテレス研究
論理学、論理(logic)と文法(grammar)の関係
☛ イブン・サール(Ibn Sahl, 940-1000)
屈折の法則
☛ イブン・スィーナー(980-1037)、ラテン名:アヴィセンナ(Avicenna)
論理学 ⇒ オッカムのウィリアム(William of Ockham, 1287-1347)
アリストテレスの著作の保存 ⇒ アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, 1200-1280)
☛ ウマル・ハイヤーム(Omar Khayyam, 1048-1131)
平行線公準の証明の試み
☛ アル=ガザ―リー(Al-Ghazali, 1058-1111)、ラテン名:アルガゼル(Algazer)
『哲学者の意図』(イブン・スィーナーの入門書) ⇒ トマス・アクィナス(Thomas Aquinas, 1225-1274)
☛ ナスィールッディーン・トゥースィー(Nasir al-Din al-Tusi, 1201-1274)
三角法
☛ イブン・ルシュド(Ibn Rushd, 1126-1198)、ラテン名:Averroes
スペイン・コルドバ生まれ(「アテナイの学堂」に描かれている)
アリストテレスの著作の保存
Q. 8世紀~13世紀のイスラム世界にギリシアの思想がどのようなルートで伝わったか(次回のテーマ)